ひらつか八幡山の洋館 (旧横浜ゴム平塚製造所記念館)

火薬敞の中にあって平塚大空襲を免れた、明治期の歴史的建造物

 1905 (明治38)年、創建された火薬工場のイギリス人技術者の宿舎と食堂・ホールとして建てられました。その後、海軍火薬廠に引き継がれ、1923(大正12)年には、関東大震災に見舞われましたが倒壊は免れました。そして1945(昭和20)年7月16日、平塚は大空襲をうけ市内の70%が焼き尽くされましたが、火薬敞の中にあったにも拘わらず、この建物は標的から外されたようでした。
 関東大震災と平塚大空襲という二つの大きな災難にも奇跡的に残った、この建物は、今は神奈川県内でも数少ない明治期の洋風木造建造物で、国登録有形文化財に指定されています。整った塔屋の姿、アーチ型の窓や、上げ下げ窓、北側の壁に設けられた出窓など、ビクトリア朝様式の建物です。現在は八幡山公園に移築されて、様々な市民活動に活用されています。

第6回湘南遺産ウォッチング平塚

投稿の推薦者:NPO法人ひらつか八幡山の洋館を活かす会
http://hiratsuka-yokan1906.jp/